タイトル:80年代
1980年の初頭、志村けんという新たな人気者を得た8時だョ!全員集合に死角はないと誰もが考えた。
実際、1980年2月の視聴率では、41.0%を記録しており、80年代も土曜8時の顔は、8時だョ!全員集合で決定と誰もが思っていた。
そんな中、当時の漫才ブームで台頭してきた若手芸人達を期用したフジテレビの「オレたちひょうきん族」が1981年にスタートする。
この番組は、フジテレビの野球中継が雨などで中止になった際の番組として制作されましたが、その後、レギュラー放送が決定します。
オレたちひょうきん族の特徴は、「過剰な悪ふざけ」と言っていいでしょう。
それまで、芸人の所属する事務所などの関係で同じ番組に出演していなかった芸人を一緒に出演させる、制作スタッフが演者として登場する、過激なパロディーなど、8時だョ!全員集合の作り込まれた笑いに対して、悪ふざけとも言える演出や構成などで対抗していきます。
その一例としては、オレたちひょうきん族の中で、制作されたパロディーCMにおいて、8時だョ!全員集合のオープンニングテーマを流しながらオレたちひょうきん族の自虐ネタを放送する場面がありました。
当初、9.5%だった視聴率も1984年には、オレたちひょうきん族が8時だョ!全員集合を上回るまでになりました。
オレたちひょうきん族は、現在のお笑いタレントの宝庫であり、ビートたけし、明石家さんま、島田伸介、片岡鶴太郎、渡辺正行、ラサール石井などを排出しました。
1985年7月、TBSは大きな決断をします。
8時だョ!全員集合の終了を決断したのです。
オレたちひょうきん族に視聴率では、遅れを取りましたが、1984年の年間視聴率では、18.2%と一時に比べればですが、1980年代でこの数値は決して低い数字ではありませんでした。
しかし、終了を決断した裏には、公開形式の生放送を行うには限界があったこと、また、ネタを書いていたいかりや長介もこのころでは、本を書かなくなっていました。
これは、コントをやり尽したという事もありますが、作り込まれた笑いに対してメンバーの方向性が合わなくなっていた事も原因の様です。
1985年9月28日に8時だョ!全員集合は、16年間の歴史に幕を閉じたのです。
この時の視聴率は、34.0%、一時代を築いた番組にふさわしい記録でした。
1980年代は、8時だョ!全員集合の天下が永遠に続くかと思われましたが、1981年にオレたちひょうきん族が放送が始まった事により8時だョ!全員集合は終了に追い込まれ、このままフジテレビ「オレたちひょうきん族」が8時だョ!全員集合にとって代わり、長期政権を築くかと思われましたが、TBSは、8時だョ!全員集合が終了してからメモリアル番組を放送していた土曜8時の枠に1986年1月、ドリフターズの志村けんと加藤茶のコンビで新番組「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」がスタートさせます。
土曜日8時の視聴率をフジテレビに奪われたTBSのこの番組は、オレたちひょうきん族から視聴率を奪い返し、1989年10月、ついにオレたちひょうきん族を番組終了に追い込むのです。
1980年は、TBSからフジテレビへそして、再度TBSへとその王者が移動した、非常にめまぐるしい10年となりました。