欽ちゃんと二朗さん

コント55号と言えば、さえないおじさんの坂上二郎さんを萩本欽一さんがイジリ倒す、と言ったイメージが強く、実際、テレビで活躍されていた時、二朗さんは、30代半ばでした。

イメージ通り、実際にコントの台本等は、欽ちゃんが作り、ひどい時は、何も知らされていない二朗さんをいきなり舞台に上げてみたりもしたようです。

この様な関係ですが、コンビとしては、生涯解散をせず、2011年に坂上二郎さんがなくなるまでコント55号でした。
当初は、一時的にコンビを組みそのうち分かれるつもりだった様ですが、人気が出てすっかりイメージが定着した事もあるのでしょうが、人には分からないお二人だけの気持ちの葛藤もあったんだと思います。

さて、コント55号の番組の中でちょっと不思議な番組があります。
日テレで放送されていた「コント55号の裏番組をぶっとばせ!」と言う番組です。

前年の1968年からフジテレビで「世界は笑う」が放送開始しており、コント55号としてブレイクした翌年の番組ですが、タイトルの通り、裏番組で放送されていたNHKの「大河ドラマ」をやっつける意味で付けたタイトルでした。
何が不思議かと言うと、欽ちゃんは大の「下ネタ」嫌いとして有名ですが、この番組は当時から「低俗番組」として有名だったのですが、その理由が「野球拳」でした。

元々は、松山の宴会芸らしいので、本来「服を脱ぐ」というルールはなく、延々とジャンケンを拍子に合わせて行う芸でしたが、宴会で行われる際にジャンケンに負けたら服を脱ぐルールが追加され、この番組で一般的となっています。

話は、戻って、欽ちゃんですが、ご存じ「下ネタ」嫌いですので、このコーナーは、嫌いだったようです。
そのため、映像に残っているものを見ると二朗さんがとても張り切ってコーナーを仕切っているのですが、これは、欽ちゃんをフォローする為だった様です。
でも、この40前後の小太りのオジサンが一生懸命女性の服を脱がそうとする画が視聴者に受けてしまった事は、なんとも皮肉かもしれません。

どうしても、欽ちゃんの影に隠れてしまいますが、二朗さんも個性と才能の塊である欽ちゃんと付き合っていくのは本当に大変な事だと思います。

晩年、元々が俳優志望だった二朗さん、2時間ドラマなどでも刑事役として活躍されていました。
あの、欽ちゃんのとなりに立てるのは、二朗さんしかいなかったのでしょう。

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