80年代のお笑いを考える上で、「ビック3」は外す事の出来ないキーワードだ。
オレたちひょうきん族では、ビートたけし、明石家さんまと土曜8時の時間帯でドリフターズと熾烈な視聴率争いをしていた時、タモリだけは、我が道を行くと言わんばかりの独自路線を進んだ。
ビートたけし、明石家さんまもフジテレビに器用されて大きく認知を広げたが、タモリも深夜帯では、アングラなネタで少しづつ名前を売り出していたが、その名が一躍脚光を浴びるのは、フジテレビのお昼番組「森田一義アワー 笑っていいとも!」が大きく貢献している。
ビートたけし、明石家さんまが派手な印象があるのだが、ビックスリーとして3人で番組を回してもちゃんと存在感を示す、その芸と知識には驚かされるものがある。
80年代から90年代にかけて日本は、バブル景気に乗り正に行け行けの時代だった。
ビートたけしや明石家さんまがその象徴的なハチャメチャなお笑いをしていた時代、ドリフターズのしっかりと書かれた台本の笑いが飲み込まれて行く時代にタモリさんの知識に裏打ちされた対話芸と言うのはとても珍しく、90年代、ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!や、ダウンタウンのごっつええ感じなどのコント番組とも違う独特な世界観を醸し出していた。
実際、笑っていいとも!では、明石家さんま、笑福亭鶴瓶、とんねるず、ウッチャンナンチャン、ダウンタウンなどの代表的なお笑い芸人との番組もタモリさんは仕切っているのだが、今考えると大変稀有な存在だ。
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