森田一義アワー 笑っていいとも!

笑っていいとも!は、オレたちひょうきん族と同じく、フジテレビの看板番組でした。

オレたちひょうきん族は、1981ねんにスタート、笑っていいとも!は、1982年スタートとほぼ同じ時期にスタートしました。
プロデューサーは、横澤彪、スタッフに三宅恵介、佐藤義和、荻野繁など、同じスタッフが多く関わっていました。

この二つの番組は、昼の毎日放送と土曜日の8時という違いのためか、バラエティー番組ではありましたが、その内容は、まったく異なっていました。
その後、お笑いビックスリーと呼ばれるビートたけし、タモリ、明石家さんまが、同じような時期にフジテレビで人気番組を始めるというのは、奇遇というよりも必然だったのかもしれません。

オレたちひょうきん族は、1989年までの8年間放送され、惜しまれつつ番組が終了しました。
これは、途中でビートたけしがいろいろとあり、番組を休んでいたことも原因の一つですが、TBSのほか、同時間帯での番組制作が非常に盛んで、人気を奪われたこと、出演者自体が多少なりとも飽きを感じていたこと、これは、多くのお笑いタレントが参加していたため、それぞれの活動が活発になったり、格差なども発生したりとまとめることが難しくなってきたことにも原因はあったと思います。

顧みて、笑っていいとも!は、タモリがメインの番組であることが明確だったことと、タモリの性格にもよるかと思いますが、ビックスリーの他のメンバーからも「真面目」と言われていたように、破天荒な部分が少なく単に「アンダーグランド」なネタが多かっただけで、人物としては、一つのことに長く集中できるという資質があったのだと思います。

また、番組構成としても、「友達の輪」があり、ミニコーナーが続き、エンディングという流れでした。
オレたちひょうきん族は、ベストテンとタケちゃんマン、懺悔室は決まっていましたが、それぞれが分担してやっていたため、まとまりとしてはありませんでした。
しかし、個々の才能がコーナーなどで開くこともあり、それはそれでいい構成だったと思います。

オレたちひょうきん族は、ハチャメチャなイメージがあり、笑っていいとも!は落ち着いたイメージがあると思いますが、ひとえにタモリの人柄かと思います。
笑っていいとも!でも、一般人の乱入などもあり、エピソードとしてはたくさんありますが、出演者が遅刻したり、しゃべりすぎたりとオレたちひょうきん族のようなセットが壊れる、ゲストが泣く、主役が来ないなどといったものとは違っていました。

長寿番組

オレたちひょうきん族は、10年経たずに終了し、笑っていいとも!は、30年以上(8000回以上)続いた長寿番組でした。
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長寿番組の秘訣は何だろうと考えると「永遠のマンネリ」なのではと思ってしまいます。
つまり、「お約束」なんだと。
笑点は、大喜利でのやり取り(出演者同士の弄り合い)、よしもと新喜劇では、お決まりのギャグ、水戸黄門では、印籠とそれぞれ、視聴者にもわかっている「お約束」というものがあります。
笑っていいとも!では、「テレフォンショッキング」だったと思います。
徹子の部屋にも通ずるタモリとゲストの掛け合いが一種の「お約束」だったんだと思います。
残念ながらオレたちひょうきん族にもそれらしきものがありましたが、かげきな内容だったためなのか面白いコーナーがある日放送されなくなるといったことが多々ありました。
タケちゃんマンもビートたけしのお休みがあったりと「お約束」が継続できない状態でした。

笑っていいとも!は、長い歴史に終止符を打ちましたが、いろいろな功罪があったと思います。
いまだに何故終了したのかについてははっきりとしていませんが、長寿番組を作る一つの方法としては、「お約束」をしっかりと作ることなのではないでしょうか?

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